さて、ナイバシャへ到着。
雑多なナイロビとは違い、ここは自然豊かでのんびりしている。
日本で言えば、東京と箱根みたいな感じだろうか。
今回のモデルはキベラスラムのマゴソスクール卒業生と働く先生たち。
本業のファッションモデルという案も出ていたが、ブランド設立のきっかけとなっているキベラスラムをレペゼンしている方が、リアルでバックボーンが見えるという意味もあり、こちらになった。
早速、国立公園内で撮影を始めたのだが、しっくりこない。
なんというか、「あどけない子供」に映る。
ママに手を引かれてカメラ前に立っている、そんな感じがした。
どうしたものかと頭を悩ませている間に、以後カメラを出すことはなく一日が終わってしまった。
わざわざここまで呼んでもらったのに、これではマズい。
なんというか、何か起爆剤的なきっかけが欲しい。
これは自分だけなのかもしれないが、「心からいいと思えるカット」というのはそうそう撮れない。
一回の撮影で1つや2つあればいい方だ。
これが早めに出せれば、以後そのカットを軸に撮影を進められる。
パチンコでいえば、最初の当たりをいかに早めに引けるか、そこにかかっている。
現時点では、まだ当たりどころか、魚群すらも引いていないわけだ。
翌日は、朝から湖畔での撮影。
まだ夜も明けぬ時間に目を覚ました。
お湯の出ない冷たいシャワーを浴びながら、「お前ならやれる」と自己暗示をかけていた。
集合場所に行くと朝早いにもかかわらず、みんなちゃんと起きていた。
まだ寝ているお寝坊さんもいなければ、眠そうに目を擦っている人もいない。
早速撮影を始めた。
二人目に撮影したのは、昨日「あどけない子供」に映ったあの子。
「楽しそうにこの木の上を歩いて欲しい」と伝えると何を勘違いしたか、その場で踊り始めた。
一瞬「え?」と思ったが、モニターには眩しい朝日を浴びた天使が舞っていた。
この瞬間、僕は昨日からのスランプが吹き飛んだ。
4年前、映像制作のために彼らの故郷であるキベラスラムへ行った。
話を聞けば聞くほど、日本とはかけ離れた環境に驚愕した。
でも、完成した映像を見てくれた人からは、「楽しそう」「元気いっぱい」など、ポジティブなことが聞こえてきた。
僕は悲惨な状況を伝えるものとして制作したつもりだったが、彼らの顔からはその辛さを感じさせないほどポジティブな顔をしていた。
果たして、辛い時は辛い顔をしないといけないのか?
そんなことはない。
それをグッと噛み締め、前向きに生きていれば、それは表情に出る。
今回、わざわざ遠路呼んでもらったがゆえに、自分でどうにかしないといけないと思っていたが、彼らの表情には悲惨な言葉を綴っても吹っ飛ばすパワーがあることをすっかり忘れていた。
それを気づかせてくれたのが、あの子だった。
以後、やって欲しいことは伝えるが、それ以上は何も言わず、彼らに委ねた。
自分で作るのではなく、一緒に作る。
結果、洋服とのシンクロ率は格段に上がり、前日に抱いていた違和感が消えた。
ちなみにあの瞬間以降、彼女はまたあどけない少女に戻った。
あれは僕にだけ見えた天使だったのか?幻だったのか?
データはあるが、真偽は不明である。
キベラスラム編に続く。